カテゴリー:写真散歩
2011.12.5
柊社
柊社(ひいらぎしゃ)。あるいは「比良木社」と表記。
小さく素朴な神社やお寺を発見するのも散策の楽しみの一つです。
昨日、見つけたのが、この柊社。
無垢の丸材を使った素朴な鳥居に小さなお社。
目を引いたのは、祠のような本殿の両脇に立つ、まっすぐな木。
鳥居のなりたちは、立ち並ぶ2本の木を縄で結んだものというのを聞いたことがありますが、まさにそれを思わせる光景でした。
私のすぐ後にお参りに来たおじいさんがいました。近所の方でしょうか。
本殿の前にひざをついて、丁寧にお参りされている姿が印象的でした。
2011.10.19
嵯峨野散策2:愛宕念仏寺
実は、お地蔵さんが好きです。
それはやっと言葉が話せるようになったころからでしょうか。母の買い物についていっては「おがむー、おがむー」と寄り道をねだり、田んぼのあぜ道に祀られているお地蔵さんに向かって小さな手を合わせていたらしいのです。
お地蔵さんに限らず、道祖神、埴輪、キクラデスの石像(私が方々でアイコンに使っているモノもこの一種)も好きなのです。
で、今回訪れたのは愛宕(おたぎ)念仏寺。
お地蔵さんではないのですが、素朴な羅漢さんたちがひしめき合っていると聞いて、どうしても行ってみたくなったのです。
像自体は昭和56年の発願以降とのことで、何世紀も経ている訳ではないのですが、それでも苔むした群像は、なかなか味わい深いものがありました。
沢山の石像を見続けていると、傍らの石まで何かの顔に見えてきてしまいました。(^_^;
こちらは本堂。
訪れた時、ちょうど中から読経の声が響いてきました。2、3人の男性の声。
聲明のような趣もあります。
夕暮れの山寺。祈りの声に聞き入ること、しばし。
2011.10.18
嵯峨野散策1:化野念仏寺
久々に時間が出来たので、嵯峨野方面に散策で出かけてきました。
まず、訪れたのは化野(あだしの)念仏寺。
境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は従古あだし野一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえて配列安祀してある。
リーフレットより。
石仏・石塔が安祀されている場所は「西院の河原」と記されています。
想像していたよりも大きな空間ではないのですが、過去からの強い「念」を感じました。
石仏・石塔とは別に、妙な存在感があったのは、こちらの仏舎利。「納骨堂」と案内されていましたが、仏舎利も、鳥居に似たゲートも南アジアの雰囲気が漂っているように感じました。
・・・木が生い茂っていて、良く分からないかも?(^_^;
「竹の小径」と称される、寺院内の竹林道。
ここで聴いた音は、今回の散策でもひときわ印象深いものだったのです。
風が吹く
ぴゆう、と鳴る
葉がざわめく
さわさわ、さわさわ
竹は音をたてる
みしみし、みしみし
そして、時折ぶつかりあう
かたかた、かたかた
参道のお地蔵さん。仲良く並んでます。