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カテゴリー:作品語り

2007.6.3

暗闇の記憶

暗闇の記憶(2000年)
http://www.akiyo.jp/yami/

「暗闇」というキーワードから思い浮かぶもの。思い出すもの。一見全く無関係のように思えても、脳の中では案外近い位置にあるものもある。それらをつなげてみた。一つの「暗闇の記憶」は別の記憶への導入部となり、記憶のネットワークとして連動する。表現したかったのは、暗闇の迷宮を手探りで彷徨う感覚。各々の「記憶」はその通過点にすぎない。音楽の音と同様に。

■テーマは「暗闇のなかの想い出」
金沢市主催のデジタル・アートの祭典、eAT KANAZAWAのアワードでは、毎年テーマが与えられる。私が参加した2000年はテーマは「暗闇のなかの想い出」だった。

■ところで「暗闇」ってなんだろう?

夜になると暗くなる。目をつぶると何も見えなくなる。このように、暗闇は私達の身近にある。それでも、あらためて「暗闇」を考えてみると、なかなかとらえるのが難しい。

■「暗闇調査」より
友人たちに「暗闇って聞いて、思い出すものってある?」そんなメールを送ってみることにした。また、作家たちの「暗闇」も探してみた。

* * * * *

でも本当の闇、漆黒の暗闇は経験がないことに気が付きました
思いつくものは暗いんですが
闇の記憶ではなく
たとえば、子供の頃しかられて
押し入れに入れられて暗くて怖かったんですが
暗い記憶ではなく、ふすまの隙間からのこもれる光を鮮明に
記憶しています

田舎の井戸をのぞいたときも、底が見えない暗い井戸に吸い込まれそうで
怖かったんですが
よーく見ているうちに底の水が
キラリと光った記憶なんです
夜光塗料のおもちゃも、光にかざしてふとんにもっぐって
暗い中で薄明るく光るおもちゃの記憶です

光るおもちゃが手に入ると
暗闇を求めていました

などなど

私にとっての暗闇の記憶は
光の記憶みたいです

(S氏の記述より)

* * * * *

アフリカの暗闇:
獣の息遣いが聞こえてきそうな乾いた、
目を閉じた方が明るい暗闇。

熊本の暗闇:
南には熊本市内の明かり、北は砂を散りばめたような星空、
バイクで帰っていてよく、後ろに何かいそうで
一人で勝手に怖くなって家に駆け込んだなぁ
冬のからだの底からずんと冷えてくるような夜

大阪の暗闇:
眠らない街だよね。
だからこそ、街灯の途切れた暗闇は野良猫に見つめられた感じ
一度、一緒に住んでた友達が後ろから着いてきていて、
私は友達だと知らないもんだから、どんどん早歩きになって
それでも着けてくるからめちゃめちゃ怖かった。
友達は笑ってたけどね。

鹿児島の暗闇:
桜島の息遣い、爆発すればその振動が、
風が吹けば「へ(火山灰)」が、まとう
つねに桜島の存在を感じさせる暗闇

豊橋の暗闇:
ちょうど西と東の境にありどちらも混在している。
ブラジル人、集団就職してきた団塊の世代、工場、3交代制、
ブルーカラーの夜

(H夫妻の記述より)

* * * * *

light
cuts
shad
ow

shad
ow
cuts
light

light
cuts
shad
ow

shad
ow
cuts
light

(Robert Lax 詩集『ONE ISLAND』より)

* * * * *

でも、海岸通り沿いから、上へ上へと小高く続くナポリの夜景、
海に浮かぶように建てられている『卵城』。
それに満ちる少し前の月が、
今まで見た事ないほど輝いていて、
天上から海:ナポリ湾にハッキリした明かりを落とし、
その月明かりを受けとめたナポリ湾の波が、
波紋という形で私の目の前まで運んで来てくれました。

ナポリの風景と、その月明かりと波の関係を見ただけで、
周囲の喧噪は私の耳から去り、
いきなり静寂となり、優しい雰囲気に包まれてしまったのです。

(A氏の記述より)

* * * * *

…蔵の中?
やだよ
こわいよ
開けてよ
何か動いてるよ
こっち近づいてきてるよ
ほらもう足元にいるよ

ねぇ、
開けてよ、開けてよぉっっっっ!

(S氏の記述より)

* * * * *

盲人(少なくともこの盲人)がないのを寂しく思うのは
黒と、そしてもうひとつ、赤です。
「赤と黒」は私どもに欠けている色なのです。

完全な闇の中で眠るのが習慣だった私にとって、
この霧の世界、盲人の世界である緑がかっているか
あるいは青味がかっていて、
ほのかに明るい霧のたちこめる世界の中で眠らねばならないのは、
長い間苦痛でした。

できることなら闇にもたれたかった、
闇に支えられたかったのです。

今の私には赤はぼんやりとした茶色に見える。
盲人の世界は人々が想像するような夜でなありません。

(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 『七つの夜』より)

* * * * *

そうなんですよ私には
「暗闇の中で近いのか遠いのか分からない所で
水が途切れることなく流れている音が聞こえる」
という記憶があります

それは小学生の頃、
月蝕を見に行った丘のような山にあるダムのような水門での事です

私たちは当然、非日常的な時間と空間のためか、
ワクワクドキドキハイテンションで
ふざけ合っていたわけです

あたりは月と星の光、そして山の暗闇。
ぼっうと浮かび上がるコンクリート。

そのダムのようなところは真中あたりに一段低くなっている場所があって
そこに隠れて、みんなを驚かせようとして身をかがめて息を殺していると
何故か誰もこちらを気にする気配はなく・・・・
気がつくのをしばらく待っていたのです

そして、ふと下を見ました
そこには闇しかありません

闇がみっしりとあるわけです
その奥の方から、
水の流れる音が絶え間無く聞こえているのに気がついたわけです。

それは怖いというか、ともて不思議な感覚でしたね
今でもその残響のようなものが耳の奥に残っているような気がするのです。

そのとき何か「わかった」ような気がするのですが・・・
気がするだけかもしれないですね
「光」なくしては「闇」もないですね

ということは「光」以前の「闇」というのを
「闇」と呼ぶことは
ある「戦略」なしに語るとこはできないです

そうしないと容易に制度の語る言葉に回収されてしまい・・・

(I氏の記述より)

* * * * *

なる程暗闇(やみ)と陰影(かげ)は違うのだ?
影は光によって造られるのだ。

明るければ明るいほど、陰も、影も黒く濃く映える。

ならば闇とは何だろう?
暗きは光の少なきこと。

闇とは光のないことである。

光が少なくなればこの世界は薄れ、
万物の存在は悉く儚きものとなる。

光がなくなれば最早この世界は存在そのものがあやしくなる。

ならば闇とは虚無である。
だから真の闇と云うものはこの世界にはあり得ない。

夜とて所詮は地球の陰であり、影でしかない。

(京極夏彦『塗仏の宴 宴の支度』より)

* * * * *

■リンクするイメージ
日本には魚を表す多くの言葉がある。海に囲まれている国であり、その食文化は魚抜きには語れないということも無関係ではないだろう。たとえばブリという一種類の魚についてもその成長に応じて「シオワカナ・ツバス・ワカナ・ハマチ・メジロ・モンダイ・ブリ(明石地方の場合)」という多くの呼び方がある。

また、アイヌ語やイヌイットの言葉には雪についての様々な名詞があるという。「降っている雪」「地面に積もっている雪」さらにはアイヌ語「干してあるシシャモに降り積もる雪」を一言で表す名詞さえあるという。同様にアラビア半島の遊牧民の言葉にはラクダについての百以上の名詞があるらしい。

しかし日本語ではラクダはラクダでしかなく、アラビア半島の言葉では名詞一語で表せるものでも日本語では「○○するラクダ」というように表現するしかない。このことを私が知ったのは本田勝一著『日本語の作文技術』の中だった。

一つの言葉・イメージは、別の言葉・イメージにつながる。これをインターネットの「ハイパーリンク」で表現することはできないだろうか?そんな考え方からページとページのつながり方を模索してみることにした。

■それぞれのページのテーマ
友人たちの協力と作家たちの言葉からの引用、そして自分の中にあるイメージをもとにそれぞれのページのテーマを決定した。

・胎児の記憶
・光と闇
・水
・鳥居
・再生の壺
・パンテオン
・Light Cuts Shadow
・光の暴力生
・見られていること
・写真の粒子
・ゼムクリップ
・ボルヘスの闇
・細胞と宇宙
・奈落
・グリッド

■それらは夢の中から生まれた
夏目漱石の『夢十夜』という作品がある。

—こんな夢を見た。

そんな書き出しから始まる十遍のちょっと幻想的なストーリー。この作品のように、イメージが「フっ」と表れては消えるという感じのものを作ってみたかった。それならやはり、実際に夢を見るのが一番。私は眠った。実際には、一晩に一つ、テーマを決めてから眠りについた。朝起きたら、それらのイメージはまとまっているのだ。起きている間することは、それらを画像として、あるいは文章として定着させれば良い。

■WEBとしての表現
WEBデザインをする時に、通常言われていることとして「リンクボタンはわかりやすく」ということがある。しかし、ここでは入り口のわからない迷宮を手探りでソロソロ進む感じを表現してみたかった。そこで、通常のセオリーを破って、ここでのリンクボタンは分かりにくくしている。暗夜行路的な表現を試みている。

2007.6.3

百科地図

百科地図(2001年)
http://www.akiyo.jp/100map/

身体の一部の細胞が
他のすべての情報を持つように
地球の一部に注目すると
森羅万象があらわれる

地図は百科事典の
インデックスとなる  

 『百科地図』序文より

例えば、髪の毛の細胞は「自分は髪の毛だ」という認識のもとに「髪の毛」の役割を果たしています。それでも、他の部分の遺伝子情報も持っているのです。それと同様に、地球の一部のある地域でも、地球上のあらゆる情報を持っていると仮定してみました。

実際に文化交流が凄まじい勢いで行われている昨今、別の土地で育まれてきた文化は粘土細工のように世界中のあらゆるところにくっつけられて増殖しているように感じます。それは物理的なものだけでなく、思考についても同様でしょう。ますます部分から全体を見ることができそうです。そんな考えをもとに、地図をインデックスとした百科事典のようなものを作ってみました。

ところで百科事典とは?今では百科事典といえば、ホコリっぽい過去の知識の蓄積と事後報告という感じですが、昔は違ったはずです。まだ、世界に未知の部分が広範囲に残っていたころ、百科事典は「アヤシゲかもしれないけど、面白そうなもの」の集大成だったのではないでしょうか。肉食獣にしか見えない象が出て来たり、怪獣系の鯨が出て来たり。

多くの情報が氾濫する現代では「なんだかよくわからないもの」は、ほとんどなくなって来ているようにも思われます。しかし、ごくごく身近なものでもちょっと見方を変えてみてみると、不思議なものに見えてくるのです。「枯れ尾花」を「幽霊」に見立ててみるという訳です。『百科地図』ではそれらを集めてみました。目指すところは昔の百科事典のような、アヤシゲかもしれないけどワクワクするような雰囲気です。