2007.6.3
ツリー構造に対するアンチテーゼ
「ツリー構造に対するアンチテーゼ」は作品ではありませんが、「暗闇の記憶」「彩音」「BLUE PRINT」を作った当時に考えていたことなので「作品語り」に入れてみました。テキスト自体は2003年のeAT産業塾で作品について語る機会をいただいた時に起こしたものです。
■隣への移動
この三作はサイト構成的にはとても良く似ている。メニューよりコンテンツページの中に入ったあとはページからページへと、無目的に彷徨うことができる作りになっている。
通常のサイトでは、いわゆる「ツリー構造」という形式のものが多い。トップページから入り、大きなカテゴリーがあり、さらにその中は小さなカテゴリーに分類されている。膨大なコンテンツを効率良く整理して伝えるには、とても有効なやり方と言えるだろう。
これはある意味、現実世界での交通網とも似ている。通常の街の交通網は、街の中心部から郊外に行くのに便利に出来ている。では、郊外のある地点から別の地点に行く場合はどうだろう。地図の上では近い場所でも、1日数本しかないバスを乗り継いでやっとのことで辿りつけるところもある。
同じことがサイトでも言えるのではないか。ハイパーリンクによっての移動が可能だとはいえ、カテゴリーは違っていても、実際には近い位置にあるという場合は少なくないだろう。
例えば、「スーパー」の「食料品売り場」の「野菜コーナー」に行って、「キャベツ」の山の中から「新鮮そうなもの」を選んでカゴに入れる。ツリー構造はこのような思考で目的のものに辿り着くには適した構造だ。しかし、「キャベツ」の隣の「トマト」に目がいくというような流れをサイト上で自然に誘導するには多少無理がある。「キャベツ」から「トマト」に行くにはいったん「野菜コーナー」まで戻らなければならない作りになっていることが多いのだ。
この「隣への移動」に着目してサイトを構成したのが、この「暗闇の記憶」「彩音」「BLUE PRINT」だ。
現在ではこの「隣への移動」を効果的に取り入れているサイトがいくつもある。しかし、私が三作の最初の作品「暗闇の記憶」を作った時にはあまりそのようなサイトがなかった。そこで「隣への移動」を意識したサイトを作ってみたかったのだ。
■分類するということ
そもそも、なぜ「ツリー構造」なのか。それはコンテンツを分類するという作業からはじまる。インターネットのコンテンツだけではない。現実世界にあるものも、便宜上、細かく分類されれいる例はいくつもある。例えば、昔は「角のあるでっかい動物がいたよ」「黄色い実がなってたよ」ですませていたところを、今は「これは偶蹄目ウシ科ウシ類の水牛という動物ですね」「薔薇科の落葉樹のカリンの実ですね」という具合に分類されているのだ。しかし、実生活では分類名まで言うことはない。私達はもっと感覚的に曖昧に物事を判断していることがたくさんあるはずである。
■リンゴを見て思うこと
ここに一つのリンゴがあるとする。あなたは何を思うだろうか?「赤い」「丸い」「いいかおり」「食べごろ」「サン津軽」「ニュートン」「ウィリアム・テル」「アダムとイブ」「投げたら何メートル飛ぶかな?」などなど。
極論をいえば、この「リンゴを見て思うこと」の数だけ別のものへのつながりの候補があることになる。そして分類するという行為は、この中から一つ(時として数個)を残してあとのすべてを切り捨てるということなのだ。そうしないと分類はできない。
■重力と体積による束縛
現実世界には重力がある。モノには体積がある。モノを分類しなくてはならなくなった背景として、この重力と体積の存在があったことも無関係ではないだろう。
例えば博物館を作ったとする。すべての収蔵品を無造作に置いておくと、どこに何があるのか全くわからなくなる。見ることもできない。見やすくするためには、あるものは2階にもちあげないとならないし、同じ部屋の中でも上の棚にしまうものと下の棚にしまうものに分けなければならない。そこで収蔵品を分類する必要が生じてくる。
本屋について考えてみてもわかるだろう。本をただ雑然と置いておくことはできない。物には体積があり、重力の影響を受けている以上、それを一ケ所に、しかも客にわかりやすく置くということは不可能だ。そこで「小説」「医学」「アート」などという分類で本を並べる。
しかし、例えば「小説」に分類されている本と「料理」に分類されている本が、頭の中ではとても近いと感じることはないだろうか。
■インターネットでできること
現実世界とは違い、インターネットの中では重力も距離感も無視して物と物をつなぐことができる。つまり、現実世界では分類する必要性によって切り捨ててきた「リンゴを見て思うこと」のようなものを、またつなぎなおすことができるのだ。つまり、「リンク」である。そしてツリー構造よりも、もっと思考の流れに無理のない方法で、モノとモノをつなげていく方法があるのではないだろうか。そもそも脳の中の記憶のネットワークはツリー構造ではないはずだ。
■「効率」とは別の選択肢
それでもやはりツリー構造は膨大な情報を効率よく整理するには圧倒的に有効な方法だろう。また、入り口から目的地への誘導にも力を発揮する。しかしそれはあくまで「効率よく」情報を収納しようとしたときのやり方だ。効率的ではないかもしれないが、もっと個人個人の思考の流れに沿った、自由度のある情報の組み立て方があるのではないだろうか。
私の中でも明確な結論は出ていない。しかし、このあたりにあらたな情報の組み立て方のヒントがあるような気がしてならないのだ。あるサイトの中を気分のおもむくままに移動していくうちに、「イルカについて」「ケプラーについて」といったことが、フンワリ頭の中に入ってくる、というのも素敵だと思いませんか?